2015年9月からいままでを振り返る

訳あって9月に大学院に入学し,この度修了のめどがたったので,この3年を軽く振り返る.この記事に随時加筆していく感じで.

なお,この記事は,その当時僕が感じたことを文字に起こしたものであり.特定の組織およびその体制,人物を非難するつもりは一切ないことを最初に但し書きしておく.

院死とは

志望した大学院入試にすべて合格せず,学部卒業後の4月からの進路が決定していない状態を指す

はじまり

編入し,3年次での勉強を頑張ったおかげか,所属した学科で6位になれた.
院試にて,A日程で合格できるかの瀬戸際であったが,他の学科から弊ラボを志望してる学生のほうが成績が良かったため,A日程では合格できなかった.
B日程が残されており,勉強していれば合格できると思ったが,受験番号が見当たらなかっため,見事に院死が確定した.
それだけならまだしも,合格したメンバーが全員東大に行ってしまい,結局4月になってから修士のメンバーは増えなかった.
これは自分の立場での言い分になるが,自分が座りたかった席をすべて潰されてしまったので,なんかなぁという気持ちが大きくなってしまった.
4月になって院試や卒論発表の日程が出た.A日程はまぁそれ通り,問題はB日程と卒論発表会である.
B日程の3日後,卒論発表,その3日後,院試口頭試験.厳しすぎる… 正直かなり9月卒業の学生は考慮されてないと思う.
卒論の仕上げも迫っていたので,A日程でどこか研究室が決まればそこに移ろうと思った.
大学院に籍を残すことが重要だと当時は思った.
結果として再びA日程をもらえた,マジか.
まぁ卒論発表をなんとか終わらせ,無事に学士をもらえた. 正直これでよかったのだろうか,いつもこれが頭をよぎる.まぁみんなそうだと思うけど,割り切るのって難しいよね.
また,この院試の結果により,修士課程から研究室が変わった.
正直新しいボスとはいろいろ「合わなかった」.高専,学部を通して研究というものを経験したつもりであったが,少なくとも修士のボスでは,自分の思う研究というものはできると思えなかった.正直言うとそこまで人気がある研究室とも言えないとこだった.
「正論はうんたら」とはよく言ったものだが,これを人生の中で痛感したことあは院死してからが初めてな気がする. 正論の刃物の鋭さを身をもって感じた.
初対面の相手にいろいろ自己紹介していて,「でも君の努力がたりかなっただけでしょ?」と言われたときは,本当にコイツ◯してやろうと思った.いやマジで

雑な始まりになったし口調があれだけど,今後仮に似たような人がいたらあくまでの1サンプル程度に見てほしい.
当時の感情をもっと書けるが気力がなくなったのでまた今度

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Posted by yuqlid